NO DAY BUT TODAY2021-08-01T19:55:11+09:00灯台の時間。思考の追及。JUGEM忘れないこと。http://toudai.jugem.jp/?eid=32006-05-09T12:15:56+09:002006-05-09T03:15:56Z2006-05-09T03:15:56Zやっぱり、言葉と向き合おうとするとイライラする…。
この、表に出したい感情が、適切な言葉になりきらないから。
そして、その言葉と向き合う勇気なんか無いし。
タイピングは好きだけど、自分の言葉を打とうとすると、違う事がしたくてしょうが無くなる。
それで必...ぬりあ
この、表に出したい感情が、適切な言葉になりきらないから。
そして、その言葉と向き合う勇気なんか無いし。
タイピングは好きだけど、自分の言葉を打とうとすると、違う事がしたくてしょうが無くなる。
それで必死に書いたら、陳腐な言葉ばかり。
昨日の日記だって、既に消してしまいたい。
まぁ、そうもいかないわけで、、、今日は楽をしようかと。
想いを言葉にするのは凹むから、想い出を言葉にしようかと。
しかも、気分が向上するもの。頑張ろうってエネルギーに代えられるもの。
最近、エネルギー不足が酷い。行動力の無さ、行動の遅さに反吐が出る。
芝居の為だから、芝居の為だから、と思っても、
やってない事が多すぎて、逃げたくなって、結局逃げる。
逃げるというか、耳を塞いで目を閉じて、体を動かさずじっと縮こまって、時が過ぎてくれるのを待つ。
時が過ぎて行くのって、こんなに五月蝿いんだって、最近気づいた。
芝居に取り組んでいる時は、そんな音気づかないのに。
本当にぎゅっと縮こまらなくちゃ、気づかれそうなくらい五月蝿い。
気づかないふりをするのに、いっぱいいっぱいです。
左の耳が相変わらず耳鳴りして、さっさとこの耳鳴りをたどって、ここと地続きのあそこに行きたいです。でも、勇気と集中力が出ない。
そんな自分が嫌いで仕方が無い。
こういう時は、芝居の想い出を書いてみるのがいいかもしれない。
何かしらエネルギーになるかもしれない。頑張れるかもしれない。
普段は想い出なんてほとんど忘れてしまっている。基本記憶力0だし。
芝居を作る過程というのは、あの本番の、あの一瞬の空間のためにあるものだから、そんなもの忘れてしまうのです。
空間だけが芝居として残っている。そして残るのは、それに対する反省等。
でもたまに、ふとその過程で起きた事件などが想い出として蘇る。
滅多に無いんだけど、人に言われたりしてフと。
何でこんな大事件忘れてたんだろうとか、意外とドラマチックじゃん、って思ったりする。それ位大事件(?)
それが急に、熱烈なエネルギーになったりするのです。
よく考えると、日常がドラマチックな人は、結果のある一瞬の為に踏ん張ってるわけじゃないから、ちょっとした事件とか全てをキチンとドラマチックだと感じている暇があるのかなぁ、なんて思ったり。皮肉ですか?
想い出・・・いざ書こうとすると、微妙だな。
言葉に出来ないものです。
書いてみたら現金なもので、大分元気が出た。
でも、自分を元気づける為の想い出というのは恥ずかしいもので、、
でも消すのもなんだし、おいやってみました。
本当に、芝居が好きだなぁ。それだけは純粋に言葉のままの真実です。]]>忘れちゃいけないこと。http://toudai.jugem.jp/?eid=22006-05-03T04:22:20+09:002006-05-02T19:22:20Z2006-05-02T19:22:20Z
自分の考えてること、想ってることを
言葉という表層にきちんと出すことで、
もしくは言葉という事実に存在させることで、
客観的に事実を見つめられ、それを逃げる事無く深められると想った。
いわゆる思考の追及というやつも、
言葉にボロボロだしていく事とそれ...ぬりあ
自分の考えてること、想ってることを
言葉という表層にきちんと出すことで、
もしくは言葉という事実に存在させることで、
客観的に事実を見つめられ、それを逃げる事無く深められると想った。
いわゆる思考の追及というやつも、
言葉にボロボロだしていく事とそれを追いかける作業によって可能になると想った。
だからこのブログを始めようとしたわけで。
でも、実際は、
言葉に置き換えると、言葉と向き合うと、吐き気がする。
今、強烈に眩暈がする。
死にたくなる。
でも、死ぬ勇気は無く、芝居が打てる可能性を夢のように考えてしまうから、
結局逃げに走る。食べたり、寝たり。
逃げたら余計に芝居から遠のくというのに。
寝てる暇があったら勉強すればいいのに。
そんなわけでブログを設置して数日経った。
言葉と向き合おうとすると、胃の辺りが重くなる。
芝居をする時使うのと違う回路の思考。
あ、でも、芝居をする時の矢印の方向は同じか。
この黒くて重くてしんどくて痛いものを、芸術におきかえ、作品に魂を吹き込めるのが芝居。
そして今はそれを言葉というものに置き換える。
でも、前者は酷く病み付きになってるのに、後者は気持ちが悪い。
その違いが私が芝居を好きな理由なのだろう。
つまりは、芸術であり作品になること、私の好きな空間が生まれあがるという何とも言葉に出来ない空間。。。。。また言葉に出来ない。
つまりは、、、、ふぅ。
諦めた、これはまたの機会に。
つまり私は言葉が嫌い。そして、自分自身が嫌い。
だから芝居が好きなわけで、そんなわけでこういうの書くのが苦手なのは当たり前なわけで。
自分が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで、舌を噛んでしまいたくなる。
言葉に出来ないものを芝居にするんだ。
だから、私が言葉を吐き出したら終わりだ。
そう想うのは、逃げでしょうか??
だから、この作業は怖い。すべてを言葉という事実に置き換えていくのは、私の芝居の可能性を失くすのではないか。
でも、いや、これは必要な作業な気がするし。
もっともっと深めていって、
もっともっと深い部分の言葉にならないものを、芝居にしよう。
そうだそうだ。
少し、心が軽くなった。やっぱり書くことは良いことなのか??
とりあえず今は、芝居がしたい。
ただそれたけ。
言葉、言葉、言葉。
もう、今日は充分頑張ったよね?
とりあえず、リハビリ。
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