| main | 忘れないこと。 >>

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | -

自分の考えてること、想ってることを
言葉という表層にきちんと出すことで、
もしくは言葉という事実に存在させることで、
客観的に事実を見つめられ、それを逃げる事無く深められると想った。
いわゆる思考の追及というやつも、
言葉にボロボロだしていく事とそれを追いかける作業によって可能になると想った。
だからこのブログを始めようとしたわけで。

でも、実際は、
言葉に置き換えると、言葉と向き合うと、吐き気がする。
今、強烈に眩暈がする。
死にたくなる。
でも、死ぬ勇気は無く、芝居が打てる可能性を夢のように考えてしまうから、
結局逃げに走る。食べたり、寝たり。
逃げたら余計に芝居から遠のくというのに。
寝てる暇があったら勉強すればいいのに。

そんなわけでブログを設置して数日経った。
言葉と向き合おうとすると、胃の辺りが重くなる。
芝居をする時使うのと違う回路の思考。
あ、でも、芝居をする時の矢印の方向は同じか。
この黒くて重くてしんどくて痛いものを、芸術におきかえ、作品に魂を吹き込めるのが芝居。
そして今はそれを言葉というものに置き換える。
でも、前者は酷く病み付きになってるのに、後者は気持ちが悪い。
その違いが私が芝居を好きな理由なのだろう。
つまりは、芸術であり作品になること、私の好きな空間が生まれあがるという何とも言葉に出来ない空間。。。。。また言葉に出来ない。
つまりは、、、、ふぅ。
諦めた、これはまたの機会に。
つまり私は言葉が嫌い。そして、自分自身が嫌い。
だから芝居が好きなわけで、そんなわけでこういうの書くのが苦手なのは当たり前なわけで。
自分が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで、舌を噛んでしまいたくなる。
言葉に出来ないものを芝居にするんだ。
だから、私が言葉を吐き出したら終わりだ。
そう想うのは、逃げでしょうか??
だから、この作業は怖い。すべてを言葉という事実に置き換えていくのは、私の芝居の可能性を失くすのではないか。
でも、いや、これは必要な作業な気がするし。
もっともっと深めていって、
もっともっと深い部分の言葉にならないものを、芝居にしよう。
そうだそうだ。
少し、心が軽くなった。やっぱり書くことは良いことなのか??

とりあえず今は、芝居がしたい。
ただそれたけ。

言葉、言葉、言葉。
もう、今日は充分頑張ったよね?
とりあえず、リハビリ。
| - | 04:22 | comments(0) | trackbacks(0)
| - | 04:22 | - | -
COMMENT
TRACKBACK
この記事のトラックバックURL
SPONSORED LINKS
PROFILE
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
LINKS
LIFE STRIPE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM